| ある日のこと。 | |
| 君とウィズは仕事を終え、帰路についていた。 | |
| 今日は帰ったらご馳走にするにゃ。 | |
| ご機嫌のウィズを見て、君はつられて笑った。 | |
| 今日は、私の頑張りのおかげで成功したにゃ。褒めてくれてもいいにゃ。 | |
| わかるかにゃ? 仕事が成功した日を忘れずに──。 | |
| ウィズは得意気に、今日いかに自分が頑張ったかを語り始める。 | |
| だが彼女は突然、はたと言葉を止める。 | |
| ……見てはいけないものを見たにゃ。 | |
| その意味がわからず、君はウィズの視線の先に目を向ける。 | |
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| ……猫。黒い猫がいる。 | |
| あれは……何かにゃ? | |
| 緊張にこわばるウィズの声を聞き、君はわからない、と言った。 | |
| 建物と建物の間から顔を覗かせる少女が、君たちに熱い視線を送っていた。 | |
| 気づかないふりして通りすぎるにゃ。 | |
| 君は頷く。この世の中には触れないほうがいいこともある。 | |
| ちょ、ちょ、ちょっと! ちょっと待って!! | |
| 素知らぬ顔で、少女の隣を過ぎようとしたとき、ぎゅっと腕を掴まれてしまった。 | |
| 黒猫さんを貸して! | |
| にゃ!? | |
| 一ヶ月だけ! いや、一週間! | |
| 猫を貸してください! 可愛い猫と暮らしたかったの! | |
| そのまま少女がウィズに手を伸ばした。 | |
| 君は咄嗟のところで身を翻し、ウィズを守りぬく。 | |
| (何にゃ!? いったいこの子は何にゃ!?) | |
| 失礼。私はすじこ。とある業界で交渉人と呼ばれる仕事をしてるの。 | |
| そう、私は交渉人。プロフェッショナル。猫貸して! | |
| にゃ!? 交渉の余地なしにゃ! | |
| 喋る猫!? 珍しすぎる! | |
| 貸せや! | |
| 恐喝にゃ! | |
| き、キミどうにかするにゃ……。 | |
| 君は首を横に振る。怒濤のまくしたてを前に、入り込む余地がない。 | |
| ウィズも動転して、人前で喋ってしまっている。 | |
| 一回だけ! 一回だけ貸してくれればそれでいいから! | |
| キミ、これは危険にゃ。今すぐ逃げるにゃ! | |
| 一歩、二歩と後ずさり、すじこと呼ばれる少女の隙をつき、逃げ出した! | |
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| にゃ!? 先回りされたにゃ!? | |
| 私は交渉人。相手の精神状態を読み、ほしいものをうば──違う。いただいていく。 | |
| 君たちが逃げた先には、既に交渉人すじこがいた。 | |
| い、意味がわからないにゃ。 | |
| 世界の可愛いもの、かっこいいもの、綺麗なもの、そういうものを求めて旅をしてるの。 | |
| そういうものなら、きっと他にもある、と君は口にした。 | |
| ウィズを連れて行かれることだけは、避けなければならない。 | |
| ちなみにこれはマナちゃん。私の可愛い相棒。 | |
| この綺麗な石はとある人からぶん取っ──じゃない、いただいたもの! | |
| それでこの綺麗な小瓶はとある人からごうだ──違う。勝ち取ったもの! | |
| 全部私の大切なもの! | |
| ……よくわからないけど、強引極まりないにゃ。っていうかとある人って誰にゃ! | |
| 猫命のTシャツを着た──ううん、これは秘密で。 | |
| ……なんだか知ってる気がするにゃ。 | |
| 落ち着いて。 | |
| 落ち着くのはそっちにゃ! | |
| ウィズはものではない。だから貸したり、あげたりすることはできない、と君は言う。 | |
| 一ヶ月とか一週間とか言わない。一分、いや一秒でいいから抱かせて! | |
| 君は、ウィズを見る。 | |
| そのまま連れ去られたらどうするにゃ? | |
| ふふ……ちょっとだけだから。よこせなんて言わない。触らせて! 一生私と暮らして! | |
| 一分、一秒と言ったのに、今度は一生──いや、そこを突っ込んでいる場合ではない。 | |
| じわりじわり、と距離を詰めてきたすじこが、ついに君たちに向かって飛びかかってきた! | |
| し、仕方ないにゃ! ここは君なりの交渉術を見せるときにゃ! | |
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(戦闘終了後)
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| 私の石パンチがきかないなんて……ッ! | |
| 大切だって言ってた綺麗な石を投げてきたにゃ。 | |
| 突如として因縁をつけられた挙句、全力で石を投げられた君は困惑を隠しきれない。 | |
| キミ、優しすぎるにゃ。わざわざ拾ってあげることなんてないにゃ。 | |
| えっと……ひとつ、ふたつ……うん、全部ある。ありがとうございます! | |
| 強引にウィズを連れ去ろうとしてきた相手に、ここまでする必要はないのかもしれない。 | |
| だけど君は、すじこのことを何故か憎めない……それどころか敵とは思えなかった。 | |
| 腕力に頼ったネゴシエーション。私は満足です。 | |
| ……この人、交渉の意味を履き違えてないかにゃ? | |
| 言っちゃダメだよ、と君はウィズを止める。 | |
| 猫──ううん、ウィズは諦める。 | |
| どうして私の名前を知ってるにゃ!? | |
| 私は交渉人。相手の素性を調べあげるのも仕事のうち。 | |
| ……知らないふりをして近づいてきたのは、演技だったのかにゃ!? | |
| ウィズのツッコミを無視して、すじこは続ける。 | |
| ウィズを貸してなんて、酷いことを言っちゃったのは反省してる。ごめん、ウィズ。 | |
| ……わかってくれたなら、それでいいにゃ。怒ってないにゃ。 | |
| 交渉には妥協も大事。さあ、魔法使いのあなた。私と一緒に来て! | |
| にゃ!? | |
| 君は再びすじこに腕を掴まれる。 | |
| この世界の素敵なものをあなたのネゴシエーションで、たくさん集めよう! | |
| 妥協してないにゃ! キミも黙ってないで何か言うにゃ! | |
| 君は必死に、拒否の言葉を並べ立てる。 | |
| だが──。 | |
| 綺麗な石とかもらえるかもしれないし、私と来れば間違いない! | |
| すじこが力強く足を踏み出した。 | |
| キミ! 逃げるにゃ! 今度は交渉人が追いつけないぐらい遠くに! | |
| 君はウィズを抱きかかえ、慌てて走りだした。 | |
| くふっ……私から逃げられたものは、未だかつてひとりもいない! | |
| 逃げるというのなら、この世界の果てまで追いかける! | |
| 君の背後から、よく通る、それでいて執念深そうな声が響き渡った。 | |
| 絶対に逃げきるしかない──君とウィズは、大きなため息をついた。 | |