長い旅路の果て
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山を越えた。 | ||
海を渡った。 | ||
魔物を倒し、小国を滅亡させた。 | ||
言い訳をすることが許されるのなら。 | ||
何も小国を滅ぼすつもりはなかった。 | ||
偶然、彼らの領地に踏み入れてしまったことが発端だが、その時はイザヴェリもすぐに戻ろうとしたのだ。 | ||
だが彼らは、あろうことかイザヴェリとヴィヴィを囲い、襲ってきた。 | ||
![]() あんなことをしなければ、許してあげたのに。 | ||
全ては温泉のため。 | ||
イザヴェリの欲を満たすため──。 | ||
![]() | ……おかしいわね。何もないわ。 | |
かなりの距離を進んだはずだが、やはり一向に見つからない。 | ||
いくら死界が広いとはいえ、そろそろそれらしいものがあってもいい頃なのでは? と思い始めていた。 | ||
道しるべがあるわけではないし、問いかけようにも死骸しかない。 | ||
![]() | 困ったわね……。 | |
あれを見て、イザヴェリ。 | ![]() | |
![]() ヴィヴィが指差したのは、赤く燃え盛るような場所だった。 死界の者は、それを灼炎の砦という。 | ||
![]() | ……あんなに燃えるような見た目だったかしら。 | |
それは灼熱と呼ぶに相応しい、真っ赤な建物だ。 | ||
煙と、焼けるような異臭が漂ってくる。 | ||
![]() | ……あれが、温泉? | |
…………。 | ![]() | |
![]() | 私の想像とはずいぶん違うわね。 | |
![]() | まあいいわ。行ってみましょう。何かわかるかもしれないし。 | |
辿り着いた、砦。 | ||
近づけば近づくほど、その熱が伝わってくる。 | ||
イザヴェリは額から一滴の汗を垂らし、そして砦の最上部を見上げた。 | ||
厳かに鎮座する者が、イザヴェリを睨めつけている。 | ||
![]() それは巨大で真っ赤なドラゴンであった。 | ||
大きい。 | ![]() | |
![]() | しょせんは知能のない獣ね。来客への礼儀がなってないわ。 | |
![]() | 見下ろす相手を間違えているわよ、化物。私は用事があってここに来たの。さあ、失せなさい。 | |
それはグルルと喉を鳴らした後で、威嚇するように咆哮した。 | ||
そう、〈死喰〉を挑発したのだ。 | ||
![]() | 私は温泉に用があるのよ。見たところ、もうこれがそうじゃない? だからあなたに用はないの。 | |
![]() | 温泉……心躍るような言葉ね。私に何を与えてくれるのか……ああ、もう待ちきれないわ。 | |
身体の奥底から、熱いものがこみ上げてくる。 | ||
そうだ。これが欲を満たすために必要なのだ。 | ||
渇きも、飢えも、この一瞬の前にはないに等しい。 | ||
この欲望を満たし続ければ、より高みに──誰ひとり辿りつけない私だけの世界に──いくことができるのだ。 | ||
しかし、そう簡単には辿りつけない。 | ||
イザヴェリ、あのドラゴン……何か、吐き出そうとしている。 | ![]() | |
![]() | 炎だろうと雷だろうと水流だろうと、私を覆うことはできないわよ。 | |
![]() | たかがしれてるわね、無能なる化物。 | |
イザヴェリは嘆息して、頭を振った。 | ||
![]() | 代償を支払うかわりに対価を得るなんて、馬鹿みたい。流行らないわ、そんなの。 | |
じゃあ、あれは無視して進む? それとも帰る? | ![]() | |
![]() | どっちも嫌。 | |
……わがまま。 | ![]() | |
![]() | 欲しいものは何があっても手に入れるし、必要ないものは楽しいと思えなくても、この手で潰してあげるわ。 | |
まるで遠雷のごとき、ドラゴンの唸り声が響き渡る。 | ||
![]() 見てなさい、ヴィヴィ。私が、あの低俗なモノを壊してあげる。 | ||
戦いは熾烈を極めた。 | ||
──とはいえない。 | ||
長い髪をなびかせて飛び上がり、爪を立ててドラゴンへ一閃。 | ||
着地と同時に身を翻らせて、踵で一閃。 | ||
ドラゴンの肉を裂き、骨を抉りとる様は、およそ正気とは言い難い。 | ||
なおも倒れないドラゴンと、まるで子どものような笑みを浮かべ狩りをするイザヴェリでは、勝負にならなかった。 | ||
普段は食べることだけしかしない彼女だが、その内に秘めたるものは暴虐である。 | ||
死界において、誰も彼女に近づこうとしないのは、ソレが巨悪であると知っているからである。 | ||
![]() ふふ、あははは──! もっと、もっとよ! 醜悪なあなたを喰らってあげる! だからもっと、もっと抗いなさい。 温泉を奪われたくないでしょう? 弱者と侮る私に喰われたくないでしょう? さあ、意地を張って命を賭して牙を剥きなさい! | ||
イザヴェリ、楽しそう。 | ![]() | |
意地だ。そして矜持だ。 | ||
そんなもの、生き延びるためには必要がない。 | ||
逃げることも、隠れることも、生きるための力だからだ。 | ||
守護者たるドラゴンもまた、それを捨てようと逃げ出そうとしたが──。 | ||
![]() ──ダメ、逃がしてあげない。 | ||
ドラゴンに密着し、甘く囁きかける。 | ||
聞こえていたか、あるいは理解できていたか、それは定かではない。 | ||
最後に、イザヴェリはドラゴンの腹部を捉え── | ||
──べちゃ。 ![]() ……へ? | ||
口から吐き出された大きな卵を、頭から被ってしまった。 | ||
い、イザヴェリ……!? | ![]() | |
どろり、と額から鼻先をつたい、こぼれ落ちたのは黄身である。 | ||
![]() | いやあああ!? | |
次々に吐き出される巨大な卵たち。 | ||
ぐちゃ、べちゃ、と音を立てイザヴェリの頭に降り注ぐ。 | ||
およそ数百年。 | ||
数多いる死界の強者を押しのけ、〈死喰〉と恐れられていたイザヴェリにとって、初めてのちょっと切ないダメージであった。 | ||
![]() | なにこれ変な臭い……もう何なのよ……。 | |
どろりとこぼれ落ちる黄身を振り払った。 | ||
こっちに飛ばさないで。 | ![]() | |
ヴィヴィは持ってきていた骨で、それを防ぐ。 | ||
![]() | ああ、もう……気分が削がれたわ。最低。 | |
![]() | ||
あっしはいったい……。 | ![]() | |
あれ? | ![]() | |
ああ! あいつでさァ! あいつが温泉っつーヤツでさァ! | ![]() | |
あなた、見た目変わってない? | ![]() | |
そんなこたァありゃしやせん。ヴィヴィの姐御、あっしのことお忘れで? | ![]() | |
![]() | 邪魔よ、どきなさい。 | |
ぎゃっ。 | ![]() | |
イザヴェリの飼い犬に蹴り飛ばされた骨が、再びその命を散らした。 | ||
温泉はいいの? | ![]() | |
![]() | もうそんな気分じゃなくなったわ。 | |
砦は目の前だというのに、イザヴェリは踵を返してしまった。 | ||
![]() | 帰るわよ。 | |
うん。 | ![]() | |
![]() | そういえば……。 | |
![]() | うちの近くにお湯が湧いていたわね。入れそうな溜まりもできていたし。 | |
![]() | そこに入っていきましょう。これ全部洗い流したいわ。 | |
うん。 | ![]() | |
![]() | はあ……遠くに来て卵を浴びて……とんだ災難ね……。 | |
己の欲を満たそうと足を運んだのに、なんて仕打ちだ。 | ||
イザヴェリは、そんなことを考えていた。 | ||
もうしばらくは遠出をすることもないだろう。 | ||
![]() | 温泉……辿りつけなかったわね。 | |
心残りができてしまった。 | ||
いずれ知ることができるだろうか? | ||
このヴィヴィ・ナイトメアとともに、見つけられるだろうか? | ||
温泉という名の、答えを──。 | ||
![]() | 何も得られなかったなんて、笑えないわね。 | |
収穫といえばせいぜい、帰り際に熱いお湯に浸かれるぐらいか──。 |
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