若女将
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「実は、臨海学校を開こうと思っていてね」
旅館の一室で、銀髪の男──ダンケルが言った。
「臨海学校……ですか」
傍らに座るトモエは、首をかしげながら、
ダンケルの持つ猪口(ちょこ)に酒を注ぐ。
「うむ。ついては、三泊四日、貸しきらせてもらえないかね?」
「もちろん、かまいませんわ」にっこりと微笑むトモエ。
「それで、その臨海学校というのは、どんなことをなさるのです?」
「基本的には勉学に励んでもらうつもりだ。ただ……」
ダンケルの瞳に、ふと強い意志の光が宿った。
「彼らには、強くなってもらわねばならないのでね。ちょっとした試練を設けたい」
「あら……それはそれは」
トモエの微笑が、妖艶さを帯びる。
「そういうことなら──ここはうってつけですね」
「『地獄女将』の腕前、久々にご披露いただこうかな」
「あらいやだ。私が名乗ったわけではないのですよ、それ」
くすくすと笑うトモエ──その背中で、じわり、と妖気が揺らめいた。
トモエは、さる妖術を伝える隠れ里の長である。
しかし、打ち続く戦乱の余波により、隠れ里の近くにあった聖なる森が焼かれてしまい……
彼女と里の者たちは、ある決意を固めた。
しばらくして、あるウワサが流れ始めた。
戦で疲れきった兵士たちの前に、忽然と旅館が現れるという。
美しい女将が出迎え、美味なる料理が並び、広々とした露天風呂があり、
ふかふかの布団が敷かれる旅館──兵らは吸い寄せられるように泊まり、
歓待を大いに堪能する。
だが、酒が回ってきた頃、旅館の様相が一変する。
部屋の内装は血にまみれ、仲居たちは焼き焦がされた髪を揺らしてニタリと笑う。
仰天し、泡を食って逃げ出す兵士たちの背中に笑い声が降り注ぐ……
すべては、戦に明け暮れる兵たちに灸をすえんとした、
トモエ以下、隠れ里の者たちの妖術であった。
そんなある日、1人の男がふらりと旅館を訪れた。
兵士以外には、決して現れぬはずの旅館に自ら踏み込んできた男──
トモエは驚きつつ彼をもてなした。
無関係の者を脅かすつもりはなかったので、
普通の旅館のようにふるまおうと考えていた。
だが、仲居の酌を受けながら、男は言った。
『実にすばらしい。これほど気の利いたもてなしは、なかなかできるものではないよ。
兵士を脅かすことだけを目的とするのは、もったいないのではないかね?』
この男は、すべてを見抜いていた。
この旅館がどんな場所か、わかった上で来訪し、歓待を受け──
それを、心から楽しんでいたのだ。
男が去ってから、トモエたちは顔を見合わせた。
もったいない──という言葉が、一同を動揺させていた。
脅かすためではなく、心から宿泊客をもてなす。
今回、初めてそれをやってみて──けっこう悪くないんじゃないか、とか、
笑顔になってもらえるとやっぱりうれしいよね、とか、
ウワサが広まって兵士が近づかなくなってきたし、もういいんじゃないかな、とか、
俺たち意外とこういうの性に合ってるかも、とか、いろいろな意見が上がった。
そして──この旅館は、どんな客にも門戸を開くようになった。
評判は上々である。
客が増え、たいそう忙しくなってしまったが、
トモエたちは今、充実した日々を送っている──
「では、トモエ君。我が教え子たちを、よろしく頼むよ」
朗らかに笑うダンケルに、トモエは心からの微笑でこたえた。
「はい。心を込めて、おもてなしいたしますわ。──全力で、ね」
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