注文の多い依頼人
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ここは、調香師シーラ・フリールの工房。 | ||
香水を作るために様々な調香器具、そして香りを生み出すために必要な花や植物などの素材が、 | ||
工房の主シーラを囲む壁のように、大量に積み上げられている。 | ||
訪れた客は、シーラの工房の異様な様子を興味深く眺めながら、額の汗をぬぐっていた。 | ||
![]() | ……それで、お話はどこまで進んでいたでしょうか? | |
シーラは、手元にある古い文献を捲りながら、客に尋ねた。 | ||
客は突き出たお腹を反り返らせて「奇跡の香水」の製作をシーラに依頼した。 | ||
![]() | 奇跡の香水ですか……。 | |
本を捲るシーラの手が止まる。 | ||
![]() | その香水が、いったいどんなものか、ご存じでしょうか? | |
当然だ、と太った客は答えた。 | ||
伝説の調香師フロリア・リリーが作った香水で、人の失った記憶を蘇らせることができるという。 | ||
のちに、娘のファム・リリーが復元に成功したらしいが── | ||
複製した香水は、最早数滴しか残っておらず、値がつけられあにほどの貴重品になっている。 | ||
![]() | ファム・リリー以外に、奇跡の香水を複製できた調香師はいないわ。 | |
![]() | でも、奇跡の香水のレシピは、残されています。この本にね。 | |
シーラは、先ほどからチラチラ目を通していた分厚い本を差し出した。 | ||
日に焼けてぼろぼろになった表紙に、かすかに印刷されたタイトルが残っている。 | ||
本の名前は「調香大全」──著者は、マテリアル学者のロニール・クム。 | ||
彼が、世界中を旅しながら得た香水とマテリアルについての知識が、この1冊にまとめられている。 | ||
かなり以前に出版された本だが、未だにシーラたち調香師の必須書物になっている。 | ||
![]() | この本をご存じないのですか? では、奇跡の香水について書かれた項目を読んで差し上げます。 | |
シーラは、調香大全を手に取り、仰々しい手つきでページを捲った。 | ||
![]() | 奇跡の香水を製作するには、3つの素材が必要だとレシピには記されています。 | |
![]() | この内の2つ「月輪花」と「煌蛍」は、かつては貴重品でしたが── | |
![]() | いまは比較的手に入りやすいです。マテリアルハンターに依頼すれば、明日にも届くでしょう。 | |
では、奇跡の香水を調合できるのかね? と太った客は興奮気味に身を乗り出す。 | ||
![]() | わたくしのお話を最後までお聞きください。問題は3つ目の素材である「霊見草」なのです。 | |
![]() | これが現在手に入らないのです。マテリアルハンターたちも、お手上げのようです。 | |
客は、そんなはずはないと怒鳴った。 | ||
ファム・リリーが復元できたのだから、きっと世界のどこかにあるはずだ──。 | ||
と熱弁する客を、シーラは冷めた目で見ていた。 | ||
![]() | ひょっとすると霊見草は、この世の物ではないのかもしれません。 | |
![]() | 噂では、黒猫を連れた旅の魔法使いが持っていたと言われてますが、真意のほどはわかりません。 | |
シーラの話を聞いて、諦めたように客はうなだれた。 | ||
![]() | そう気を落とさないでください。代わりに、貴方にぴったりの香水を作って差し上げます。 | |
それはいったいどういう香水だ、と客は尋ねる。 | ||
![]() | あなたにぴったりなのは、この「金貨が石ころにみえるようになる香水」です……。 | |
次の瞬間、太った客は荒々しく床を踏みならして工房を去っていった。 | ||
![]() | あらら、お気に召しませんでしたか? 気が向いたら、またいらしてください。 | |
顧客が希望する香水を作るのではなく、顧客がいま本当に必要としている香水を勧める。 | ||
それが、シーラの調香師としてのスタイルだった。 | ||
![]() | 香水は、流行やお金儲けのためだけにあるのではないのです。 | |
![]() わたくしが目指すのは、フロリア・リリーのような人の心を癒やすことができる真の調香師です。 |
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