忌まわしき闇の気配

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死の匂いと、強い闇の気配──。


グラン・ファランクスの指揮官室で、ルドヴィカはそのことについて考えを巡らせていた。

ルドヴィカ様?
いつの間に入ってきたのだろう?
目の前にヤーボが立っていた。
……漆黒の兵団が現れました。こちらに向かって進軍しているということです。
そうか。すぐに出兵の準備を……。
承知致しました。
ヤーボは彼女に一礼し、指揮官室を後にした。
彼の開いた扉が完全に閉じるまで見届けてから、ルドヴィカは再び鏡の前に立った。
漆黒の兵団────。
鏡面に映る自分の顔をじっと見つめて、彼女は呟いた。
西の方角から、初めて黒い甲冑の兵団が現れたのは、リヴェータが煌眼に目覚めてから、しばらく経ったころだった。
以来、漆黒の兵団は、グラン・ファランクス騎士団の領地へ執拗に攻め入ってくるようになった。
彼らの目的は領土の拡張でもなければ、物資の調達でも、平民の殺戮でもない──。
狙いは私……いや、私の持つ凛眼だ──。
覇眼は闇を引き寄せる……か。
それは、ルドヴィカの父がこと切れる間際、彼女に残した言葉だった。
漆黒の兵団が放つ闇の気配、死の匂い……。
どちらもあの日、カンナブル全体を覆っていた不吉な影と同質のものだった。
そしてあの女が私を──


──見つけた。

それは、ルドヴィカが父親たちの墓を訪ねた帰り道のことだった。
女は唐突に彼女の前に現れて、ただひと言、そう残して消えた──。
ルドヴィカが女から感じ取ったのは、気配や匂いなどという不完全なイメージではなかった。
あれはまるで"死"そのもの……闇そのもの……。
漆黒の兵団を操っているのは、おそらくあの女だ。
ルドヴィカはそう確信していた。
と、短く数回、扉を叩く音がして、ルドヴィカは鏡から離れる。
入れ。
ルドヴィカ様、出兵の準備が整いました。如何いたしますか? やはり指揮はギルベインに──?
そうだな……。
そう言って、ルドヴィカは考えを巡らせる。
漆黒の兵団にあの女の影を感じる様になってからルドヴィカは自ら戦地へ赴くことが少なくなり、指揮権をギルベインに委ねるようになっていた。
決して戦うことを恐れているのではない。
ただ──
父の事を、父を手にかけたあの時の感覚を、思い出したくなかったのだ。
あの独特な闇と死の気配が渦巻く戦場に身を置けば、嫌でも父の顔が脳裏に蘇る。
もしギルベインが、戦場に彼女を必要としたならば、進んで剣を振り、馳せ参じるつもりであった。
しかし、戦況がそこまで悪化することはなかった。
……いや、今日は私が出る。
沈黙の後に、予想外の答えを耳にしたヤーボは、少し驚いたようであったが、
……では、直ちに馬の用意をさせましょう。
と、踵を返す。
……覇眼は闇を引き寄せる。
誰に言うとでもない、ルドヴィカの微かな呟きが、ヤーボの足を止めた。
……何か?
独り言だ。気にするな。


参りましたね。久しぶりにルドヴィカ様が指揮を執られるかと思えばこれだ。
尖兵の報告では、進軍中であるはずの漆黒の兵団は既に戦闘状態であった。
2つの軍を同時に相手にしなけりゃならないんだ。もし私一人だったら逃げ帰っていますよ……。
我々にとってはどちらも賊軍だ。なにも今すぐ勇んで攻め入ることもないだろう。
漆黒の兵団の相手をしているのは「ハーツ・オブ・クイーン」──
「ハーツ・オブ・クイーン」──当然、その前線にリヴェータの姿があった。


みんな! こんな「黒いの」ちゃちゃっと片付けなさい!

戦況は一見して「ハーツ・オブ・クイーン」の優勢だ。
リヴェータの指揮に従い傭兵の軍は一糸乱れぬ、統率された動きで歩を進め、ぐんぐんと前線を押し上げていく。
それにしても、強くなったな……。
ま、相手があれですからね。
度重なる「漆黒の兵団」との戦いから、ギルベインはその実力、手の内を把握していた。
あいつら、こちらが反撃を始めるとまるで手応えがないんです。ほら、もう逃げ出しますよ。
ギルベインの言葉どおり、漆黒の兵団は陣形を変え、退却を始めた。
それでいてまたすぐに攻めてくる……。まったく、不気味な連中ですよ……。
ギルベインの話を聞きながら、ルドヴィカは戦場のリヴェータを目で追い続けている。
ほら、逃げ腰のヤツほどチョロい相手はないわ。キッチリ追い詰めなさい!
そう言って、深追いを始めたリヴェータの背後に──

………。


大鎌を振り上げた女が現れた。




……!

リヴェータがその存在に気付いた様子はない。
征くぞ! グラン・ファランクス騎士団!
間に合うはずもない。
それでもルドヴィカは、リヴェータの元へ軍を動かした。




ルドヴィカ! 後ろから不意打ちキメるなんて、いよいよ余裕がなくなってきたんじゃないの?

戯れ言を……正規軍として、ふたつの賊軍を討つ機を得たまでのこと……。

ルドヴィカが戦場に身を投じた時には、既に女の姿は消え、漆黒の兵団も散り散りに敗走したあとだった。
はあ? どうせ私たちが黒いのと戦い終わって、弱ってるところを倒す作戦だったんでしょ?
……なぜそのような姑息な策を講じる必要がある。
そんなこと知らないわよ! ま、それだけ私たちが力をつけてきたってことじゃないの?
確かにお前は強くなった。しかし──
まだまだあんたには敵わない……。分かってるわよそんなこと──。
ガンドゥ!


おう!

ガンドゥと呼ばれた巨大な大砲を背負った猫の亜人が、宙を舞いながら次々と砲弾を打ち込んでいく。
瞬く間に、その場はぶ厚い煙に包まれた──。
……煙幕か。
煙が収まった時、既にハーツ・オブ・クイーンは姿を消していた。
しかし、引き際を知るとは、奴らもだいぶ腕をあげたようですね。
ルドヴィカ様、追いますか? 今ならまだ追いつけるやもしれませんが……?
放っておけ。賊軍とはいえハーツ・オブ・クイーンは漆黒の兵団を討ったのだ。
我々に今日の奴らを討つ理由はない。
もう賊軍とは言えませんからね、今のハーツ・オブ・クイーンは……。
事実、最近のハーツ・オブ・クイーンは、領内の民から受け入れられる存在となっていた。
相変わらずルドヴィカの領内で大騒ぎはするが、必要最低限の物資を得る以上の迷惑をかけない。
無駄な被害は出さず、善人を泣かすことはない。
彼女らが暴れることで、泣くのは悪人ばかりだった。
しかし、本当に強くなった……。
ルドヴィカはそう、満足そうに微笑んだ。
ギルベイン! 砦に戻り次第、漆黒の兵団に関する全ての情報を集めろ!
はっ!


今、我々が討つべきは、中途半端な賊軍などではない。漆黒の兵団である!

カンナブルでリヴェータの父を操った、真の裏切り者の影──。
漆黒の兵団の中に、ルドヴィカはそれを見た気がした。
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